町指定重要文化財
工芸・考古
梵 鐘(行部の半鐘)
指定年月日|昭和33年9月25日指定
所 有 地|東 三 成
所 有 者|行部自治会
青銅製。高さ82㎝、口径41.5㎝、外径52㎝。延宝5(1677)年に鋳造された高草惣兵衛盛重の作品。もとは八幡神社にあったが、現在は消防用の半鐘として行部地内にかけられている。
鋳物師の高草家は戦国時代から梵鐘を鋳造していたが、現在は、この梵鐘が残っているのみである。当地方の鋳造業をしのぶことができる貴重なものである。
陶骨壺・ 壺1口・瓦塼11点
指定年月日|昭和33年9月25日指定
所 有 地|東 三 成
所 有 者|圀 勝 寺
須恵器の骨壷で、高さ47㎝、口径48㎝。瓦塼の長さ33㎝、幅12㎝、厚さ2.5㎝。下道氏の墓域から昭和18年9月12日に出土した須恵器骨壷と、その敷瓦である。奈良時代初期のもので、瓦塼を敷いてその上に伏せて埋葬し、外側に消ずみのような木炭を詰めていた。この時代の豪族が火葬による埋葬をしていたことを知る貴重なものである。
銅 鏡
指定年月日|昭和41年4月12日指定
所 有 地|江 良
所 有 者|個 人
青銅製で鏡面8㎝。古墳中期(5世紀頃)のものと推定され、鋸歯紋を有していて、当地方としては珍しい珠文鏡である。江良奥山長谷頂上の箱式石棺内で発見されたと言われている。当時、鏡は権力者の権威の象徴のひとつであった。
古備前 壺・瓶 6個
指定年月日|昭和56年3月24日指定
所 有 地|横 谷
所 有 者|洞 松 寺
壺は、高さ41.5㎝2個、31.5㎝1個、35㎝1個の計4個。瓶は、高さ37㎝1個、32㎝1個の計2個。室町時代から江戸時代初期の古備前と推定される。
金毘羅天 絵天井 217面
指定年月日|昭和63年9月19日指定
所 有 地|上 高 末
所 有 者|吉 祥 寺
毘羅天の拝殿の天井に、1辺180cm平方の枡の中に1枚、その周囲及び祈祷の間の格天井の43cm平方の枡の中に216枚の花鳥の絵が描かれている。江戸時代中期の狩野素朴(狩野聞水斉)の作と伝えられている。吉祥寺の鎮守・金毘羅天は、吉祥寺11世観山月心和尚によって正徳2(1712)年、本殿及び拝殿が建立された。
西明院 梵鐘
指定年月日|平成20年2月25日指定
所 有 地|宇 内
所 有 者|西 明 院
青銅製。高さ60㎝、口径34㎝。享保20(1735)年の銘がある。もとは薬師庵(宇内平矢下)にあったもので、薬師庵が絶えたため、西明院が預かり所蔵している。
清水谷遺跡 出土資料 [一括]
指定年月日|平成20年2月25日指定
所 有 地|里 山 田
所 有 者|矢 掛 町
県内で2例目となる弥生時代の環濠集落が清水谷遺跡から発見された。弥生前期後半の遺構と共に発見された2000点を超える土器や約700点の石器群は、備中地域のこの時期の生活様式をさぐる手掛かりとなるだけでなく、土器編年を考える上でも指標となる貴重なものである。
須恵器(銅壺 外容器)
指定年月日|平成20年2月25日指定
所 有 地|東 三 成
所 有 者|圀 勝 寺
口径47cm、器高43㎝の須恵器の大甕で、肩部に把手が二つ対照にとりつけられている。器形から7世紀末から8世紀初め頃のものと考えられる。これは、明治33(1900)年に、重野博士が下道氏の墓域を発掘調査した際、銅壺(国指定の銅製骨蔵器)が発見されたとされる場所から出土した土器片を接合して復元したものである。