町指定重要文化財
彫 刻
木造大日如来坐像
指定年月日|昭和35年8月30日指定
所 有 地|横 谷
所 有 者|観 照 寺
像高109.5㎝の寄木造の大日如来坐像で、内刳が施してある。彫眼、結跏趺坐の仏像である。
平安末期もしくは、鎌倉時代の作(宝冠・瓔珞は後補)と推定される。
寺伝によれば、吉備津神社の三重塔の本尊であったのを、横谷村の西野氏が譲りうけて、大日堂を建立して安置し、後に菩提寺である観照寺に移されたと伝えられている。平成4年1月、仏師谷口宜剛により修復された。
捧澤寺 金剛力士像 2軀
指定年月日|昭和35年8月30日指定
所 有 地|東 三 成
所 有 者|捧 澤 寺(岡山県立博物館にて保管)
右側の阿形は、高さ255㎝。左側の吽形は高さ265㎝。鎌倉後期の寄木造の秀作で、岡山県立博物館に保管、展示されている。
頭部、体部、四肢に分かれていて、更に頭部は耳と鼻の線で合わせ、体部は前後左右で引き合わせてある。もとは麻布を貼って、胡粉下地の上に彩色したものであった。今は色は剥げ落ち、修理の跡があり、足先と阿形左腕は後補である。
胎内に宝暦12(1762)年6月、明治21年4月など4度修理したとの木札が残っている。
木造薬師如来坐像
指定年月日|昭和37年2月20日指定
所 有 地|本 堀
所 有 者|常 光 寺
木造で、像高47㎝、総丈127㎝。修理した箇所がなく、よく保存されている。鎌倉時代末期の作と推定される。
円満相の慈愛に満ちた坐像で、脇侍に日光菩薩像と月光菩薩像が安置してあり、薬師如来像を守護する十二神将像が台座を囲んでいる。
木造十一面千手観世音菩薩立像
指定年月日|昭和37年2月20日指定
所 有 地|小 田
所 有 者|小 田 寺
寄木造で、像高151㎝、総丈173㎝。手、持物、光背は後補のものである。鎌倉時代末期の作と推定されている。
木造十一面観世音菩薩立像
指定年月日|昭和50年3月31日指定
所 有 地|矢 掛
所 有 者|観 音 寺
高さ121㎝の一木造の立像。鎌倉時代またはそれ以前の作と推定されている。寺伝によると、十一面観世音菩薩立像は慈覚大師(円仁)の作で、寛永16(1639)年に檀徒が京都より迎えたと伝えている。
西方院 金剛力士像 2軀
指定年月日|平成14年6月19日指定
所 有 地|江 良
所 有 者|西 方 院
右側の阿形は高さ159㎝、左側の吽形は高さ153㎝。寄木造の彩色木像で、室町時代の典型的な仁王像である。この像は、もと、伽藍山頂上に栄えた元の極楽寺にあったもので、極楽寺が江戸初期に東西に分かれて麓へおりた際に、西極楽寺の一坊が寛永12(1635)年に西方院となり、その元の極楽寺の仁王像が伝わったといわれている。
木造薬師瑠璃光如来立像
指定年月日|平成16年2月27日指定
所 有 地|里 山 田
所 有 者|長 泉 寺
本像は像高70㎝、檜材を用いた寄木造で、鎌倉時代の典型的な仏像である。玉眼の技法がほどこされ、像の真迫性を高める一方、顔の表情などに安阿弥様の温雅な特徴を表している。螺髪をひとつひとつ丁寧に彫りこみ、衣のひだを自然で写実的に表現した秀作で、耳朶など全体の保存状態も良好である。
不動明王立像
指定年月日|平成20年2月25日指定
所 有 地|小 林
所 有 者|大 通 寺
本像は像高97㎝。檜材を用い、一木造りと寄木造の折衷の技法を用いている。色彩は後補。県指定重要文化財・不空羂索観音菩薩坐像の左の脇侍で、平安時代後期の制作と推定される。
毘沙門天立像
指定年月日|平成20年2月25日指定
所 有 地|小 林
所 有 者|大 通 寺
本像は像高87.5㎝。材を用いた一木造で、彩色は後補。県指定重要文化財・不空羂索観音菩薩坐像の右の脇侍で、平安時代後期の制作と推定される。